BROWNING & DRAKE
BROWNING DRAKEはまだ実用的には3極管しかなかった時代のラジオで、1925年に発売開始されました。 高周波増幅1段、再生付グリッド検波、低周波増幅2段のストレート受信機です。
Browning-Drake その歴史
Browning-Drake Corporation の創設者、Glenn Browning と Frederick Drake は 1923年 にハーバード大学の教授および博士として同大学のCruft Laboratoryに属し、高周波変圧器の効率を高める研究に従事していました。 当時、高周波変圧器の効率は 20 〜 30% 程度で 2人は実験を重ねた結果、高周波変圧器の一次巻線と二次巻線間に分布する容量が大きいことが要因であることを見つけました。 彼らは一次巻線の巻幅を狭くし、二次巻線の表面に沿って巻くのではなくソレノイド状コイルの片端に設けたスロット(溝)にそれを配置することで効率のよい高周波変成器を実現する方法を見い出しました(当時ソレノイドコイルでは重ね巻が良しとされた)。
2人は、当時ボストンにあったNational社に、この新しいタイプの高周波変圧器をNational社の可変コンデンサ(バリコン)の背面に取り付けた形態の「Regenaformer」を提案しました。 Regenaformer には高周波段の中和用のコイルタップ、再生検波の結合調整のための回転コイル機構も含まれていました。 Nationalは2人の技術援助により、高周波増幅のアンテナ側コイルとバリコン、減速ダイアル機構も加えワンセットにした「National Tuner」を誕生させました(実際は Browning-Drake kit set の呼称の方が後のフルセットキットを含め浸透したようです)。
このチューナは、ラジオとして必要な他の部品を加えたラジオキットとしてもBrowning-Drake Corporationから販売され、色々な規模の Browning-Drake が廉価に作れました。 当時 ラジオ関連雑誌には詳細なシャーシレイアウト、パネル加工図、起用真空管の選定要領など数多く掲載され、キット、完成製品ともに売れ行きは好調で、当時のニュートロダイン方式ラジオに対抗できる十分なコストメリットをもたらすものでした。
2人は長年National社と技術・ビジネスともに密接に関わってきましたが、Glenn Browning は1927年7月にNationalとの関係を解消し、新たに設立されたBrowning-Drake社にエネルギーを注ぎ、更に規模の大きな会社へと成長して行きました。
1925年 National社へのRegenaformerの提案で始まり、1930年までに30種類に近い色々な規模のラジオキットと完成製品でラジオに貢献したBrowning-Drake社ですが現在はあまり語られません。 2025.04.20 de JH3FJA
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